「秀衡塗」の呼称は、中尊寺やその周辺に昔から伝わる「秀衡椀」からとったものです。「秀衡椀」は大振りな三ツ椀の入れ子椀で、その文様に特徴があります。椀の上部には雲形を描き、金箔が貼られ、その間に草花や吉祥の図柄を配したユニークなものです。
平安時代末期に平泉で栄えた奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡が京より職人を招来し、この地方特産の漆と金をふんだんに使い、器を造らせたのが起源とされています。 また一説には、さらにさかのぼり延暦(782年)年代からこの地を治めていた安倍氏により、中尊寺のすぐ裏手にある衣川増沢地区で仏具や武具などの漆製品の製造が行われていたとされています。
1871年(明治4年)増沢地区に奥州藤原氏の流れをくむ川連漆器職人が秋田より招かれ増沢塗が成立。
1935年(昭和13年)には民芸の父と言われる柳宗悦による調査により、増沢塗職人が秀衡椀を秀衡塗として復元し広く作られるようになりました。しかし、増沢塗職人は1955年(昭和30年)の衣川ダム建設に伴い平泉町の周辺に散在してしまいます。